プロジェクトストーリー PROJECT STORY
PROJECT 負極材開発プロジェクト
100年先の未来につながる仕事
PROJECT MEMBER ※所属は取材当時
負極材生産技術センターフェロー
M.D
長崎大学大学院 材料工学科 修了
CAREER
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1987
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東海カーボンに入社
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1988
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富士研究所に所属
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1990
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学位取得(Ph.D.)
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2010
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開発戦略本部生産技術センター長就任
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2015-2020
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負極材事業を統括
負極材生産技術センター 製造課
H.N
北海道大学大学院 工学研究科物質化学専攻修了
CAREER
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2010
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東海カーボンに入社
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2010
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開発戦略本部機能材部に配属
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2013
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開発戦略本部生産技術センターに異動
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2017-
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負極材製造工程の調整に携わる
負極材生産技術センター 品質管理課
T.Y
大阪府立大学大学院 工学研究科物質・化学系専攻修了
CAREER
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2013
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東海カーボンに入社
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2013
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富士研究所に配属
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2020
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負極材生産技術センターに駐在
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2021-
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負極材の品質管理に携わる
PROLOGUE リチウムイオン二次電池の需要の高まり
PROLOGUE
1990年代後半から、携帯電話やノートパソコンなど、さまざまなモバイル端末が普及したことに伴い、より高容量で小型軽量なリチウムイオン二次電池(以下、LiB)のニーズが急速に高まった。LiBの負極材には、黒鉛(グラファイト)が使われることから、東海カーボンが、創業来、「黒鉛電極」製造を通じて培ってきた技術を使い、高品質の負極材開発に挑んだことは不思議ではない。
東海カーボン富士研究所では、新しい技術を求めて、常にいくつもの研究テーマに取り組んでいるが、それら研究テーマは、研究員がプレゼンで勝ち取る方式だ。大学時代から電池関係の研究に携わってきたM.Dが、自らのプレゼンの結果、勝ち取ったテーマが「負極材」であり、彼をリーダーとした4人のチームが研究活動を開始した。
2003年、三菱ケミカル(当時、三菱化学)との負極材共同開発がスタート。LiBの製造方法自体は、当時すでに確立した技術ではあったが、日本の化学メーカーが、より高品質・低コストのLiB安定供給を目指して競い合った、そんな時代である。
SCENE 01
試行錯誤の連続
SCENE 01
LiB負極材の原材料や製造工程の一部は、黒鉛電極と同じであることから、高品質の黒鉛電極製造ノウハウを持つ東海カーボンにとって、負極材開発も容易であろうと考えていたM.Dが、自らの見込みの甘さに気づくのに時間は掛からなかった。「黒鉛電極はブロック状のものですが、負極材はパウダー状です。熱処理技術や設備、原料調達など、電極から流用できるものもありますが、当時は黒鉛(?)を粉末にする設備がありませんでした。この砕く作業が思いのほか大変で、試行錯誤したのです」(M.D)。
製品化を目指す中で、より大きな設備を利用した試作が必要になったことから、富士研究所から、黒鉛電極の試作用設備がある防府工場に研究拠点を移したものの、M.Dの苦闘は続く。
「研究は常に新しい技術を求めていますが、確立した技術で安定的に製造するのが工場です。外から新しいことを持ち込み、試作のたびに細かい調整をお願いする私たちは、工場の作業員にとっては、いわば面倒くさい相手」(M.D)。まずは、研究員が現場をよく知り、作業員に新しい技術について丁寧に伝えることで、コミュニケーションを取るよう心がけた結果、徐々に仲間としての一体感が生まれていったという。
SCENE 02
需要が加速し、設備の拡充が急務に
SCENE 02
試行錯誤の末、2006年に初めて負極材を出荷。それ以降は、品質を高める研究に加えて、価格競争力を高めるべく、製造工程効率化の研究を進めた。
2010年以降、EV車の普及に伴い、LiB需要も急拡大。生産体制の拡充が課題となる。ちょうどそのころに入社したのがH.Nだ。
「私の担当は、負極材の生産工程を管理し、調整することです。熱処理施設は1回の製造で長期間使用しますから、納期と生産量を確認しながら最も効率の良い時間割をつくるイメージです」(H.N)。
24時間フル稼働の時間割を組み、ミスなく量産にチャレンジ。設備もどんどん増える拡大フェーズだ。「設備を増やせば人も増やさなければならないので、新人への教育も仕事のひとつでした」(H.N)。増産要請に対応しつつ、製造工程を分析し、小さなトライ&エラーを繰り返しながら、設備や工程の改善点を見極める。「大学などの研究は、1つのテーマが自己完結するものでしたが、会社では管理という立場になり、現場や上司など、まきこむ人の多さに難しさを感じました。一方で、改善提案した結果が数字で見える面白さもありました」(H.N)
SCENE 03
脱炭素に貢献する体制を目指して
SCENE 03
負極材に大きな変化が訪れたのが2017年頃のこと。「それまでは日本企業がリードする市場で、生産も右肩上がりでした。ところが、中国や韓国の技術が追いついてきて、これら新興国との価格競争に突入。今では中国企業が市場を席巻しています」(M.D)。日本で製造している限り、価格競争で中国企業に勝つのは難しく、多くの日本企業が負極材事業から撤退した。そんな中、東海カーボンが活路を見出したのは――
「カーボンニュートラルの意識が高く、急速にEV車へのシフトが進むヨーロッパでの地産地消を目指し、環境に配慮した生産体制を整える戦略です」(M.D)
2020年、東海カーボンは、フランスの炭素黒鉛メーカーを買収して現地工場を手に入れた。水力・原子力発電が中心でエネルギーコストが安く、需要地に近いフランスでの生産により、製造コスト・輸送コストを抑えられるだけでなく、二酸化炭素排出量も抑えられる。
品質管理を担当するT.Yは言う。「現在は、フランスでの製造に向けてシステムを構築しているところです。原材料の調達方法や設備も違うなど、日本と同じ工程ではつくれないので、現地に合ったやり方で品質を確保できるやり方を模索中です」
EPILOGUE100年先を見据えた研究は今も続く
EPILOGUE
負極材事業を取り巻く環境は変わらず厳しいものの、EV車の普及に伴う市場の拡大は間違いない。時代の要請に応え、持続可能な社会の実現に貢献すべく、目の前のハードルを、一つひとつ超えて行かなければならない。フランス工場のシステム構築を担うT.Yは「ゆくゆくは負極材のリサイクルまでできるシステム構築が理想」と将来を見据える。
長く電池の研究に携わってきたM.Dは、「カーボンニュートラルの要請の中、学生時代から取り組んできた研究を通じて、社会に貢献できるのは、研究者として幸せなこと」と語る。どんなにすばらしい技術も、やがて新しい技術により陳腐化する――そう語る3人は、自社が100年かけて蓄積してきた技術を更に進化させるべく、地道な研究に取り組んでいる。その真摯な努力が報われる日が来ることを信じて。