座談会 DISCUSSION
DISCUSSION 03 東海カーボン × 海外勤務
海外にも数多くの拠点を要する東海カーボンでは、「海外勤務」のチャンスがあります。当社で実際にそれを経験した社員は、海外での経験をどうとらえているのでしょうか?
PROFILE※所属は取材当時
カーボンブラック事業部 生産技術部 部長
J.K
東京工業高等専門学校卒。知多研究所などを経てタイ「THAI TOKAI CARBON PRODUCT」およびカナダ「Cancarb Limited」に駐在。1986年新卒入社。
カーボンブラック事業部 販売部
N.K
九州工業大学物質工学科材料工学コース卒。田ノ浦工場とファインカーボン事業部を経て2015年、タイ駐在員事務所に赴任。2005年新卒入社。
大阪支店 電極課
M.S
専修大学商学部商学科卒。摩擦材事業部を経て、2012年から2015年まで中国蘇州の「Tokai Carbon (Suzhou) Co., Ltd」に駐在。2008年新卒入社。
Q1.
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就活のとき
海外勤務は視野に入れていた?
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N.K
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僕は、海外勤務の可能性もかなり視野に入れて就活をしていました。とはいえ「地球を舞台に何かでっかい仕事がしたい!」ぐらいのレベル感でしたが。みなさんの場合はどうでしたか?
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J.K
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私の場合は1986年入社で、世の中も東海カーボンという会社も今とはちょっと違う状況でしたから、海外勤務についてはまったく頭にありませんでしたね。
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M.S
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僕は車とバイクが好きだった関係で東海カーボンという会社に巡り合ったのですが、就活をしていた当時は、正直そこまでの海外志向はありませんでした。
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J.K
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「そこまでは」ということは、ちょっとは考えてた?
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M.S
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そうですね。世界中に拠点がある素材メーカーなので、「どこかに赴任する可能性はあるかな?」ぐらいには考えていました。
Q2.
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海外拠点へ
赴任することになった経緯は?
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J.K
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1992年に、タイに新たな工場を作ると聞いたときは「へえ、そうなんだ」ぐらいの他人事と捉えていましたが、ある日上司に「立ち上げメンバーとして行かないか?」と言われ、正直ちょっと迷いましたね。海外赴任についてはまったく考えてなかったので。
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M.S
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僕の場合も、蘇州で製造販売拠点を立ち上げると聞いたときは「誰が行くんだろ?」ぐらいに思っていました。でもある日、「行く気はあるか?」と声がけしてもらったときは、正直嬉しかったですね。当時まだ26歳でしたから、「この年齢で行かせてもらえるのか…!」と光栄に思ったものです。
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N.K
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僕は、当時の事業部長にさりげない「海外行きたいです」アピールを繰り返したことが功を奏したのか、まずはアメリカに1年間の長期出張をさせてもらうことになり、その翌年からタイの駐在員事務所に赴任しました。
Q3.
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海外での
仕事と生活はどうだった?
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M.S
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現地では文化や考え方の違いなどのせいで、最初のうちはやや苦労もしました。でもここは日本じゃない、現地に染まろうと考え方を変えてから仕事もプライベートも充実してきました。
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J.K
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やはり、諸外国はスタッフへの指導の仕方からしてカルチャーが異なるわけで、最初はとまどいますよね。でも一緒に長く働いていれば気心も知れてきますから、ある意味「時間が解決してくれる」とは言えるでしょう。
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N.K
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僕の場合、タイ駐在員事務所では活躍できなかったという悔しさもあります。でも…家族で赴任したのですが、妻はタイが大好きになったようで「帰りたくない!」と言っていましたね(笑)。
Q4.
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海外勤務を希望する就活生にひとこと
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M.S
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海外は、出張で行くのと「赴任」するのとではずいぶん違います。例えば中国企業の「圧倒的な判断スピードの速さ」を肌で感じることは、人生における大きな財産になるはず。東海カーボンは「自分は海外志向である」ということを言いやすい企業だと思います。
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N.K
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海外勤務の可能性だけでいえば、例えば商社のほうが高いとは思います。でもカーボンを作れる企業って、世界的に見てもごくわずかなんですよね。東海カーボンは全世界を相手にビジネスをしている企業なので、素材メーカー志望で、なおかつ海外志向が強い方には、確実に向いている企業だと言えるでしょう。
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J.K
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たしかにそうですね。カーボンを作っている会社のなかでも、事業の種類がこれだけ多岐にわたり、なおかつ海外拠点がこれだけ多い会社というのは、東海カーボンぐらいだと思います。海外とカーボンに興味がある方には、ぜひトライしていただきたいと思っています。